INTERVIEWインタビュー

第2回 本物と出会い“ほんまもん”を目指してナポリへ

本物のピッツァ、ピッツァイオーロ(ピッツァ職人)と出会った鎌田氏は“ほんまもん”を目指して突き進みます。3年間でストウブ台の前に立つという目的を達成し、次のステップは本場ナポリへ。道なきところに進むべき道を切り拓きながら修行した当時のことを伺いました。

 

食アカな人

2020年8月20日、26日 京都『ピッツェリア ナポレターナ ダ ユウキ』にてインタビュー実施

出会いの数珠繋ぎで道を切り拓く

「ながぐつ亭」で“ピッツァ”の世界に飛び込んだわけですね。
ピッツァの世界、さらに言えばイタリア料理の世界に深く入っていく扉が開きました。イタリア料理が好きで、イタリア料理のお店で修行をしていたわけですが、イタリア人から直接料理を教わるのは初めてでした。言葉も通じないですし(笑)。
 
鎌田
どうやってコミュニケーションをとったのですか?
カタコトのイタリア語です。辞書を見ながら、「わからん。どうするねん?これ・・・」という感じで、必死で聞きながら、自分の理解が正しいかどうかもわからんけどやり方を覚えるしかない。でも、手取り足取りというか、ナポリの本物の仕事を直接学ぶことができたわけです。本当にラッキーでしたよ。日本にいる間にピッツァイオーロ(ピッツァ職人)としての仕事を一通り勉強することができました。その後、お店を辞めてナポリに行った際にはこの経験が大きなアドバンテージになりました。
 
鎌田
「ながぐつ亭」での修行には3年で一区切りつけ、イタリア、ナポリに修行に行かれました。
いずれはナポリピッツァのお店を出して独立すると決めていました。ただ、本場でちゃんと勉強し、経験積んでからでないと世界が拡がらないと考えました。師匠からも、ナポリで一度やってみて、“ほんまもん”をつくれるようになってから日本でやりなさいと言われていました。そこで、たいしたツテもなかったのですが、とりあえずナポリに行きました(笑)。ところが、師匠は本人が独立の準備をされている時期で僕を受け入れる余裕はありません。さらに、どこの店も雇ってくれません。ナポリで働いている日本人が殆どいない時代でしたから。ビザがおりないし、滞在期間も限られる。でも,何もできないまま帰っても意味がない・・・。
 
鎌田
八方塞がりの状況ですね。どうやって道を切り拓いたのでしょうか?
カネは要らんから仕事させてくれ!から始めました。働きが良ければ次につながります。そして出会った人の縁をたどり、数珠繋ぎのようにつながりをつくっていきました。結果的に昼はトラットリア、夜はピッツェリアで働けるようになりました。とはいえ、ビザの関係でナポリに居続けることができる期間は短い。普通であれば3か月、何とかビザがおりないかと粘って最終的には半年くらい滞在できたのですが、短期集中で“ほんまもん”をつくれるようになるため、ほぼ休むことなく必死に働き続けました。
 
鎌田
3年でストウブ台の前に立つと決めて修行を開始されたときの話と似ています。でも、許される時間が短く、異国の地であることを考えると更にハードルが高かったのではないでしょうか。
僕はラッキーでした。日本でカルミネとアンジェロから一通りの技術を既に教わっていましたから。生地を練って、一人で焼くところまで既にやっていました。現地で初めてピッツァを勉強し始める人とは違います。日本での修行がアドバンテージになりました。初日から「お前、できるんだ。ちょっとやってみろ」となり、実際にやってみせたら「わかった。じゃあ焼いてみろ」と。
 
鎌田
 

現地で得たもの

日本と勝手が異なる部分はありましたか?
大量の枚数をすごいスピードで焼くことに驚きました。向こうだと1日に800枚のピッツァを焼いたりします。日本ではまずあり得ない量です。しかもサイズがでかい。日本で当時焼いていたのは210、220グラムほどの生地でしたが、向こうは300グラム。その生地をのばすと30センチどころではないサイズになります。重さも違います。それを一気に4、5枚焼いていく。猛スピードで回転しますから、焼いているときには既に自分の後ろに次の4、5枚が用意されていました。ピッツァの工程は分業化されていて、自分がミスすると流れが止まります。「(関西弁でいうと)お前、何してんねん!」となる。すごいプレッシャーでした。実際、失敗すると「だから日本人は」となるわけですよ。最初の1か月くらいは悔しい想いをしながらやり続けました。毎日悔しかったですよ。言葉もわからないし、ネットで検索して調べることもできない。でも、そこで挫けて帰国したら意味がない。絶対にできるようになって帰るんだと。僕、負けず嫌いなんです(笑)
 
鎌田
窯の前で苦闘されていた様子が伝わってきます。
失敗すると師匠にペチンと手を叩かれました。この手があかんねや~という感じで(笑)。ナポリで師事することになった師匠は几帳面で神経質でした。焼き方はもちろん、疲れてきて道具の持ち方を変えると、手をペチンとされました。でも、確かに道具の持ち方で焼き具合も変わるんです。下から持つのと、上から持つのでは生地の取りやすさも変わる。枚数を焼いていくとその違いが出るわけです。たくさん焼いてみて初めてわかることでした。他にも、薪の配置の仕方や窯に入れるタイミング・・・実際に経験したからこそ気づき、身についたものは本当に多かったです。
 
鎌田
日本の環境では身につかない技だったのですね。
ただ、技術そのものは、ある程度の基本ができている人であれば短期間で習得可能です。今、振り返ると、現地に行ったことで理解できたのは、技術よりもイタリア人の料理に対する考え方の部分だったと感じます。
 
鎌田
技術よりも、もっと根源的な部分ですね。根差している食文化のような。
日本でもイタリア料理を学んだり、食べたりしていたつもりでしたが、その料理を現地の人はどんなシーンで、どんな食べ方をするのかということは(向こうに行くまでは)理解できていませんでした。例えば、現地の主食はパンなので、料理もパンに合わせている。ピッツァの前に、前菜とパンを食べることも多い。毎日パスタを食べるわけでもない。自分たちがつくる料理が、そもそもどういう位置づけの食べ物なのかを理解できたことが大きかったですね。僕は、ピッツァ職人としてだけではなく、イタリア料理の料理人としての力もつけたかったのですが、現地の食文化、食べ物への考え方を感じることができたことに大きな意味がありました。
 
鎌田
 
本物のピッツァと出会い、“ほんまもん”を目指してイタリア・ナポリへ。長期滞在が許されない環境の中、出会うもの、触れるものの全てから可能性を手繰り寄せ、つなぎ合わせながら“ほんまもん”になっていった鎌田氏の人間力が溢れるお話でした。次回は、そんな鎌田氏が目標通りに29歳で自身の店を開き、オーナーシェフとなってからのことを紹介します。