1978年 京都府に生まれる。西陣織の帯職人だった父親の姿を見て育った鎌田氏。幼いころから「自分も将来は職人になりたい」と考えていたそうだ。
当時、看護師の仕事で母親も家を空けることが多かった。男三兄弟の長男だった鎌田氏はお腹がすくと「何つくろう?となった」(本人談)とのこと。
甘いものが欲しくなったら牛乳ゼリーをつくる。フランス料理の本を見て面白そうだと思ったら、自宅にある米酢とオリーブオイルとでサラダをつくってみる。気がつくと料理に興味が湧き、「職人になりたい」が「料理人になりたい」へと変化した。
さらに、TV番組「料理の鉄人」(フジテレビ及び同系列局で放送されていた料理人対決型の料理番組)から刺激を受け、調理場で火を操り、鍋を振る料理人の姿に自分の将来を重ね合わせた。その想いを胸に鎌田氏は調理師学校へと進み、料理人への道を歩んでいく。
1997年 調理師学校を卒業した鎌田氏は、京都におけるイタリア料理店のパイオニア的存在「ながぐつ亭」に入社。当初から「20代のうちに独立する」ことを目指していた鎌田氏は、ここで“ピッツァ”の世界と出会った。
当時「ながぐつ亭」が2号店として開店したのがピッツェリア。ナポリにあるような本物のピッツェリアを京都でやろうというコンセプトのお店には薪窯が入り、ナポリから腕利きのピッツァ職人(イタリア人)が呼び寄せられた。イタリアの粉、ビール酵母を使い、本物の職人が薪窯を使って焼き上げる“ピッツァ”に衝撃を受けた鎌田氏は「カルチャーショックの連続」(本人談)を繰り返しながらピッツァの技術を習得した。
2007年 自らのお店『ピッツェリア ナポレターナ ダ ユウキ』を開店。「20代のうちに独立」という目標通り、本場ナポリでの修行も経たうえで29歳の時に自分自身の店を開業。暴風雨でキャンセルが続出する日には「(いつもは予約でいっぱいだけど)今日なら入れるか?」というファンで再び席が埋まるというほどの人気店をつくりあげた。
その『ピッツェリア ナポレターナ ダ ユウキ』は今年で13周年を迎え、14年目に入った。現状に安住せず、進化を続ける中で、鎌田氏自身は、長年の修行、仕事の影響で「小麦アレルギー」とも付き合っている。そんな中でも成長の歩みを止めない鎌田氏にさまざまな示唆に富むお話を伺った。
*なお、この記事とは別に、2021年2月に収録した鎌田友毅氏や永松秀高氏を含む雑談会動画を
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