INTERVIEWインタビュー

第1回 海外に渡り、視野を広げた

瞬く間に世界の舞台に躍り出たソムリエ:岩田渉氏。そのキャリアの土台はどのように培われたのでしょうか?ごく普通の大学生だった岩田氏が世界に飛び出した「最初のステージ」についてお話を伺いました。

 

食アカな人

2020年10月20日 京都にてインタビュー実施

京都で扉が開き、ニュージーランドで開花した

岩田さんがソムリエ、飲食・サービスの世界に入ることになった経緯をお聞かせいただけますか?
飲食業での仕事という意味では、高校生の頃にラーメン店でアルバイトをしたのが最初です。当時、自分のお小遣いは自分で稼ごうと、平日の放課後も休みの日もラーメン店でアルバイトをしていました。すごく楽しかった。ただ、本格的に今のキャリアへの扉が開いたのは、(出身地の名古屋を出て)京都に来てからだと思います。
 
岩田
大学進学のために京都に来られ、京都でも飲食店でアルバイトをされたのですね。
はい。京都では一人暮らしです。進学に際して奨学金で学費を賄いましたが、生活費を自分で稼ぐ必要がありました。そのとき、アルバイトで入ったのが京都でオープンしたばかりの居酒屋でした。スペインバルのスタイルを取り入れた挑戦的なお店でした。普通の居酒屋では扱わないようなワイン、チーズも扱っていて、刺激的で働きやすいお店でした。
 
岩田
そこで飲食業界、ワイン業界の扉が開いたということですか?
まずは、知らない世界への扉が開いたという感覚です。そのお店でシェフをしていたのが、後にセクションドールを開業した永松さん(永松秀高氏:セクションドール オーナーシェフ。食アカな人Vol.1参照)でした。当時の永松さんはフランスでの料理修行を終えて帰国したばかり。ここでは言えないような話がほとんどですが(笑)、フランスでの破天荒な話をたくさん聞かせてくださいました。聞いているうちに、海外への強い興味が湧きました。もちろん、食べることや飲むことについても。
 
岩田
そこから食の世界へ。
最初に興味を持ったのはチーズでした。勉強したくて永松さんにチーズの話を聞いたりしていたのですが、大学1年生のときには富良野にチーズ工房を見に行きました。JRの「青春18きっぷ」を使って普通列車を乗り繋いで(笑)。とても楽しく、味を占めて2年生になるとバックパッカーで東南アジアを旅しました。知らない土地を旅して、いろいろな人に会って、知らない文化に触れるのが楽しくて・・・もともと私はインドア好きな性格でしたが、未知なるものと出会い、視野が広がっていくことの喜びに目覚めました。
 
岩田
そして、ついには大学を休学して海外へ行ったわけですね。
東南アジアをまわったとき、英語が全くできないのが悔しかったんです。まずは英語を身につけよう、時間をつくって海外に勉強に行こうと思いました。永松さんの海外での話を聞き、刺激を受ける中で海外への憧れや夢も膨らんでいました。そこで思い切って大学を休学し、ワーキングホリデーの仕組みを使ってニュージーランドに渡りました。
 
岩田
ニュージーランドは世界的なワイン生産国の1つですね。
現地では、人々の日常生活の中にワインがありました。スーパーマーケットでも棚一杯にワインが並んでいて、多くの人が普段から日常酒としてワインを嗜まれています。その風景が新鮮でしたし、すごく素敵でした。その文化に触れたことで自分もワインを楽しむようになり、ワインに引き込まれていきました。最初の頃は、味の感想を聞かれても「美味しい」としか言えませんでしたが(笑)、日本で永松さんたちに教わっていたワインの知識を思い出しながら飲み続けると徐々にわかってきます。でも、知れば知るほど自分の知識は氷山の一角に過ぎないこともわかり、さらに引き込まれます。京都での経験が当時の自分のバックボーンとなってワインの面白さに気づき、その奥深さに自分の人生がつながっていきました。ニュージーランドで何かが開花しました。
 
岩田
 

ソムリエを志し、サービスパーソンの道へ

ニュージーランドではどのように勉強されたのですか?
最初は全くわからなかったのですが、飲み続けると徐々にぶどう品種の違いがわかってきます。さらに同じ品種でも産地の違いがあり、それがわかるようになると多くの種類のワインを飲みたくなります。休みの日にはいろいろなお店をまわりました。ニュージーランドは移民の国ですから、フランスやイタリアから移民された方のお店もあります。そんなお店を訪ねて話を伺い、時にはワイナリーを訪ねて畑や醸造所を見せていただきました。もちろん、最初は趣味としてでしたが。
 
岩田
しかし、それがいつの間にか趣味の域を超えたわけですね。
奥深いワインの世界に魅了され、ソムリエの資格に挑戦したくなりました。せっかくなので英語でワインを勉強してみようと。きっと日本に帰ってからでも役に立つ!と考えました。当時、日本からソムリエ教本を取り寄せたのですが、日本語で書かれているものを読んでも表現が独特でよくわかりません。ソムリエのスクールに通っているわけでもありませんし。日本語の教本を読んだ後は英語の教本と照らし合わせ、わからないことはワイナリーやレストランで「どういうことか?」と聞いて確かめました。勉強し、飲んで、教えてもらって理解度を一気に深めることができました。楽しく勉強することができました。
 
岩田
ニュージーランドにはどのくらい滞在されたのですか?
当初はニュージーランドで1年間英語を勉強しようと考えていましたが、結局、ワインの世界に引き込まれていきました。大学は4年間休学できますので、1年が2年になり、3年になり(笑)。実は、日本でのバイトの経歴が役立ち、向こうのレストランで就労ビザをとることができました。結局、合計3年間、ニュージーランドで働きながら学ぶことができました。
 
岩田
その3年間を経た上で、ヨーロッパにも行かれたのですね?
もっと勉強したくなりました。ワインを学ぶ上でフランスやイタリアには行っておかないと。そこで、大学をもう1年間休学することにしました。ニュージーランドでは帰国後のためにお金を貯めていました。約250万です。そのうち100万円は帰国して再スタートするために確保し、残り150万を使い切るまでは日本に帰らないと決めてヨーロッパに行きました。バックパッカーで、自転車を借りてワイン生産地をまわりました。
 
岩田
ヨーロッパの生産地はいかがでした?
感動しました。凄いホスピタリティの文化を感じました。当時、肩書も何もない私を有名シャトーが迎え入れてくれました。「まだソムリエではないけれど、それを目指して勉強している」とレターを書き、直接アポをとりました。現れるのはレンタサイクルに乗り、真っ黒に日焼けした小汚いバックパッカーです(笑)。そんな私を優しく受け入れ、勉強させてくれました。ヨーロッパには結局9か月滞在したのですが、その当時の経験が今の私を支えてくれています。
 
岩田
ワインを通してサービスホスピタリティの凄さにも触れた旅だったのですね。
ニュージーランド、そしてヨーロッパ。20代前半で世界をまわり、いろいろなものを食べ、いろいろなものを飲み、いろいろな人と出会い、いろいろな文化に触れることができました。視野が拡がり、ワインや食文化を通して魅力的なものをたくさんいただきました。そのことを伝えたい、サービスパーソンになりたい・・・日本に戻り、大学3年生としてキャリアを再開したときにそう考えました。
 
岩田
 
京都での偶然の出会いをキッカケに扉を開け、大胆に海外に飛び出した岩田氏はその地で自らのキャリアの入り口を見出したわけですね。そして、見つけた入り口に飛び込み、さらに奥深い世界を知り、ご自身の一生を貫くものを手にされました。海外での約4年間を経て帰国した岩田氏はソムリエとして快進撃を開始します。