INTERVIEWインタビュー

第2回 ソムリエコンクールでの快進撃

ソムリエとして、サービスパーソンとして生きることを決意し、帰国した岩田氏はソムリエコンクールの世界で快進撃を開始します。その当時のことを伺いました。

 

食アカな人

2020年10月20日 京都にてインタビュー実施

同世代に負けて悔しかった

約4年間の海外生活を経て帰国し、日本で大学生に戻られました。そのタイミングで京都のワインバー『Cave de K』に入られたわけですね。ワインバーで働きながらソムリエ資格を取得し、すぐにコンクールの世界へ進まれたと伺っています。
永松さん(永松秀高氏:セクションドール オーナーシェフ。食アカな人Vol.1参照)の紹介で『Cave de K』に入ることができ、25歳でソムリエ資格を取得しました。同時に、自分のレベルを客観的に知りたくなりました。ワインの勉強をしたのは海外、しかもほぼ独学でやってきた私には、ソムリエの世界に知り合いも少なく、彼らがどんなスキルを持っているのかがわかりませんでした。それを確かめるため、コンクール出場を決めました。27歳以下を対象とした「ソムリエ・スカラシップ」という大会です。
 
岩田
どんな結果になり、何がわかりましたか?
正直なところ、最初は軽い気持ちで参加しました。コンクールについての事前知識も持っていなかったのですが、幸いにも1次試験、2次試験をパスすることができました。決勝は長野で開かれ、全国から12名が集められるわけですが、会場までの交通費は協会が出してくれます。ちょっとした旅行、合宿気分でした(笑)。しかし、決勝の場に集まった人たちは私とはモチベーションが全く違いました。当時の私は彼らが話す会話の内容にさえついていけません。大会では3名の優秀賞が選ばれるのですが、この人は凄いなと感じていた人たちが選ばれました。同世代に負け、横で見ている自分を許せない、悔しいと感じました。来年は必ず優秀賞をとろうと目標を定めました。
 
岩田
実際、翌年には目標通りに優秀賞を獲得されました。
前年に負けてから猛勉強を始め、場慣れのために他のコンクールにも出場しました。イタリアワインのコンクールに出場する際には(『Cave de K』ではイタリアワインを置いていなかったことから)「じゃあ、これを飲もう」とご自身のワインコレクションの中から飲ませてくださるお客様もいました。周囲の応援をいただき、自分に足りなかったものを埋めていくことができました。翌年の「ソムリエ・スカラシップ」では、優秀賞だけではなく特別賞やスポンサー賞も合わせて3冠全てをいただき、応援してくださった方に報いることができました。私にとっても努力が実を結んだ結果となり、次へのモチベーションも湧いてきました。
 
岩田
 

挑戦者として臨み、初出場で全日本最優秀ソムリエに

「全日本最優秀ソムリエコンクール」のことですね。
はい。「全日本最優秀ソムリエコンクール」には年齢制限はなく、国際大会に日本代表として出場するための登竜門となるハイレベルな大会です。開催されるのは3年に一度。前回大会で優勝したのは石田博さん。普通に考えて私が勝てるような大会ではありません。でも、優勝を目指し、自分にできる最大限の努力をして挑戦することを決めました。
 
岩田
どのような努力をされたのでしょうか?
コンクールで出される課題は多岐に渡ります。筆記試験、テイスティング、サービス実技、プレゼンテーション・・・。その中で、私にとっては不利な課題がレストランサービスの実技でした。歴代の優勝者の方々の経歴を見ると明らかでしたが、多くの方はホテルのレストランやグランメゾンを経験されています。私にはその経験がありませんでした。ニュージーランドで働いていたレストランは和食、日本ではワインバーで働いていたわけですから。その経験の無さを補うため、ワインバーの営業が終ったあとで個室を使わせていただき、毎晩訓練を重ねました。
 
岩田
どのような訓練をされたのでしょうか?
個室を1つのテーブルに見立て、自分でシチュエーションを設定して練習しました。エアートレーニングといいますか・・・。シチュエーションに合わせてグラスを設定し、デキャンタージュも含めてサービスの動きをトレーニングしました。毎晩、仕事が終わるのは夜3時。そこからが自主練の時間でした。練習終えて朝5時に家に帰り、朝10時に起床。出勤までは筆記試験の勉強という繰り返しです。営業時間中はワインバーの店員としてサービス提供するわけですが、お客様が飲ませてくださるワインでテイスティングの経験を積みました。お客様の中には、ブラインドテイスティング、利き酒のように遊び心を持って「一緒にやろう」と言ってくださる方もいらっしゃって、産地や品種や製造年を考えながらテイスティングできる機会もありました。
 
岩田
そして、27歳、初挑戦にして「全日本最優秀ソムリエコンクール」で優勝されました。
私は挑戦者の立場。緊張することも無く、自由にのびのびと臨むことができました。初出場でノーマークの存在でしたから(笑)。1つだけ有利だったのは、問われる課題の多くが外国語だったことです。私にはニュージーランドでの経験がありますから、その部分で委縮することはありません。普段どおりのパフォーマンスをすれば良く、平常心で臨んだ結果が優勝でした。
 
岩田
 

緊張する必要がないと思えるほどの準備

日本で最優秀ソムリエとなり、次なる戦いの場は国際舞台に移りました。
全日本優勝とともに、自分の立場が大きく変わりました。「全日本最優秀ソムリエコンクール」は世界への登竜門ですから、私は日本を代表する立場で世界と戦うことになったわけです。特に、全日本の翌年に開催される「A.S.Iアジア・オセアニア最優秀ソムリエコンクール」の開催地は京都でした。競技会場となるホテルは『Cave de K』から歩いて5分ほど、目の前です。周囲からは当たり前のように「優勝できるね」と言われ、大会会場には職場の同僚が応援に来てくださる環境です(笑)。急に注目されるようになり、優勝という結果を求められることになった当時のプレッシャーは半端なく、恐ろしいほどのものでした。挑戦者としてのびのびと臨んだ全日本とは全く異なりました。
 
岩田
背負うものが増え、岩田さんにとって初めての国際大会。コンクール当日も相当緊張されたのではないですか?
確かに緊張感はありました。ただ、舞台に出ると不思議と心が落ち着きました。緊張する必要がないと思えるほどの準備をしましたから。何が出てきても大丈夫という気持ちになりました。アジア・オセアニア大会への出場が決まって以降、日本ソムリエ協会の全面的なバックアップを受けました。世界を経験している先輩が私のトレーナー兼メンターになり、毎週トレーニングをしてくださったのです。世界大会レベル、いえ、それを超越するレベルの課題を出され、模擬コンクールをして力を磨きました。できる限りの準備を行い、当日は落ち着いてコンクールに臨むことができました。結果的には優勝でき、心底、ほっとしました(笑)。
 
岩田
 
瞬く間にソムリエとしての階段を駆け抜けたように見える岩田氏ですが、その短い時間の中で立場も変わり、心も大きく動いていたのですね。恐ろしいほどのプレッシャーを知り、緊張する必要がないと思えるほどの準備をすることでそれを克服し、結果を出した岩田氏。この翌年にはアジア・オセアニア代表として世界大会にも出場し、11位入賞を果たしました。次回は、コンクールの世界を駆け抜けてきた岩田氏のステージの変化について伺います。