約4年間の海外生活を経て帰国し、日本で大学生に戻られました。そのタイミングで京都のワインバー『Cave de K』に入られたわけですね。ワインバーで働きながらソムリエ資格を取得し、すぐにコンクールの世界へ進まれたと伺っています。
永松さん(永松秀高氏:セクションドール オーナーシェフ。食アカな人Vol.1参照)の紹介で『Cave de K』に入ることができ、25歳でソムリエ資格を取得しました。同時に、自分のレベルを客観的に知りたくなりました。ワインの勉強をしたのは海外、しかもほぼ独学でやってきた私には、ソムリエの世界に知り合いも少なく、彼らがどんなスキルを持っているのかがわかりませんでした。それを確かめるため、コンクール出場を決めました。27歳以下を対象とした「ソムリエ・スカラシップ」という大会です。
前年に負けてから猛勉強を始め、場慣れのために他のコンクールにも出場しました。イタリアワインのコンクールに出場する際には(『Cave de K』ではイタリアワインを置いていなかったことから)「じゃあ、これを飲もう」とご自身のワインコレクションの中から飲ませてくださるお客様もいました。周囲の応援をいただき、自分に足りなかったものを埋めていくことができました。翌年の「ソムリエ・スカラシップ」では、優秀賞だけではなく特別賞やスポンサー賞も合わせて3冠全てをいただき、応援してくださった方に報いることができました。私にとっても努力が実を結んだ結果となり、次へのモチベーションも湧いてきました。
全日本優勝とともに、自分の立場が大きく変わりました。「全日本最優秀ソムリエコンクール」は世界への登竜門ですから、私は日本を代表する立場で世界と戦うことになったわけです。特に、全日本の翌年に開催される「A.S.Iアジア・オセアニア最優秀ソムリエコンクール」の開催地は京都でした。競技会場となるホテルは『Cave de K』から歩いて5分ほど、目の前です。周囲からは当たり前のように「優勝できるね」と言われ、大会会場には職場の同僚が応援に来てくださる環境です(笑)。急に注目されるようになり、優勝という結果を求められることになった当時のプレッシャーは半端なく、恐ろしいほどのものでした。挑戦者としてのびのびと臨んだ全日本とは全く異なりました。