INTERVIEWインタビュー

第3回 新たな役割を自覚

20代後半、一気に全日本、アジア・オセアニア、そして世界大会へとコンクールの世界を駆け抜けた岩田氏ですが、30代となった今、キャリアの新たなステージを迎えています。その変化の中、ご自身が果たされようとしている仕事について伺いました。

 

食アカな人

2020年10月20日 京都にてインタビュー実施

自分の力だけでは実現できなかった

2015年、25歳でソムリエ資格を取得し、あっという間に全日本、アジア・オセアニアの代表となって4年後には世界大会の舞台へ。20代後半に驚異的なスピードでステップアップされましたね。
自分の力だけでは絶対に実現できないことでした。本物のプロと出会い、刺激や助言をいただき、多くの人に支えられながら進んできました。感謝しかありません。
 
岩田
どんな方々が岩田さんを応援してくれたのでしょう?
まずは、永松さん(永松秀高氏:セクションドール オーナーシェフ。食アカな人Vol.1参照)です。京都にやってきた私に海外での刺激的な話を伝え、プロフェッショナルとして働く姿を見せてくださいました。今に至る扉を開いてくださったのは間違いなく永松さんです。実は、今年、『ゴ・エ・ミヨ2020』でベストソムリエ賞をいただいたのですが、そのパーティーの場で永松さんと一緒になりました。10年前に永松さんからセクションドールの構想を聞かせていただいたのですが、当時の私にはまだ意味が理解できませんでした。でも、永松さんは宣言通りに構想を見事に実現され、『ゴ・エ・ミヨ2020』に掲載されてその場に招待されました。私もソムリエとなって同じ場に招待されました。プロとして同じ舞台に招待され、その場に一緒にいることができました。本当に感無量、感動しました。
 
岩田
ソムリエと料理人。職種は違いますが、それぞれの道で努力し続けたことが結実し、同じ場に立つことになったわけですね。『Cave de K』も永松さんからの紹介だったと伺っています。
はい。その『Cave de K』のオーナーから大切なことを教わりました。西田オーナー(西田稔氏:『Cave de K』『Bar K6』『Bar Keller』等、京都を代表するBarオーナーであり名バーテンダー)はサービスパーソンとして心から信頼できる方です。私がコンクールに挑戦している間も「自分で考えてやりなさい」と優しく見守ってくださいました。その西田オーナーからサービスパーソンとしての本質を教わったと思っています。そしてお店にいらっしゃるお客様からは、カウンターを介して育てていただきました。当時、若手として多くの方が応援してくださったからこそ、怯むことも臆することも無く、高い目標に挑戦し続けることができました。
 
岩田
岩田さんのお話を伺うと、多くの大人たちが岩田さんに惚れ込み、応援していた姿が目に浮かびます。
とはいえ、もう私は若手ではありません。果たすべき責任、役割も変わりました。そのことを自覚し、自分の意思で環境を変えました。
 
岩田
 

自分を磨き続け、ワインの未来を開拓して若手に伝える

世界大会に出場したのが2019年3月。その時期に合わせて『Cave de K』を退職され、同じ年の9月に『THE THOUSAND KYOTO』のシェフソムリエに就任されました。
ワイン、ソムリエの世界は進化し続けています。若い力も次々と現れます。私たちは学び続けなければならず、勉強を止めた瞬間から劣化が始まります。そうならないためにも、視野を広げ、新しい発見を続けていくための環境に身を置きたいと考えました。私は決して意志が強いタイプではありません。自分に甘えてしまうところがあります。だから、目標を定め、そこから逆算してやるべきことをつくり、やらなければならない状況に自分を追い込みます。
 
岩田
新しい環境だからこそ見えるもの、見につくもの、果たせる役割があるのでしょうね。
世界大会では決勝に進むことができず、11位という結果になりました。その時点での力を出し切ったという気持ちもありましたが、スキルや知識として自分に足りないものも痛感しました。ワインバーでは1対1、カウンター越しでのサービスが中心でしたが、サービスパーソンとして総合的に身につけるべきサービス技術はもっと多種多様で奥深い。訪れるお客様の幅広さという点でもいろいろな世界を知っておく必要があります。多種多様な人が訪れ、さまざまな動きが錯綜する中でホスピタリティを発揮しなければならない場所に身を置きたいと考え、ホテルレストランで働くことを決めました。
 
岩田
ワインバーとホテルレストランでは求められるものが違いますね。さらに言えば、『THE THOUSAND KYOTO』ではシェフソムリエという立場。ただのソムリエとは立場が変わりました。
ホテルでは厳密な計数管理と緻密な人材マネジメントが必要になります。現場では原価を含めて経費を厳しくコントロールしながら、世界から訪れる多種多様な人たちに満足されるワインやサービスを提供しなければなりません。しかも、私一人ではなく、部下にその方法を伝え、育てなければなりません。シェフソムリエとして、他のソムリエたちを指導し、人の動きをマネジメントする責任があります。
 
岩田
若手として駆け抜けた20代は過ぎ去り、若い人たちを指導する責任を負うステージに入ったわけですね。
私には、『THE THOUSAND KYOTO』のシェフソムリエという立場だけではなく、一人のソムリエ、サービスパーソンとして携わっている仕事が幾つかあります。日本ソムリエ協会理事として各支部での例会セミナーで講師をしたり、ワインインポーターや大手メーカーのアドバイザーやアンバサダーをしたり。それらすべてを通して、何十年後、何百年後もソムリエという仕事が残っていくために必要なことを考え続け、新しい可能性を開拓し、そのことを若い人に伝えていくことが私の役割だと考えています。かつて、永松さんに私がそうしてもらったように、今度は私が若い人に伝える番です。私もあの頃の永松さんの年齢に近づいてきていますから。
 
岩田
 
ソムリエとして自分を磨き続ける一方で、自分のキャリアが根差すワイン、ソムリエの未来の可能性を開拓し、次なる世代に伝えていく。かつての自分が価値あるものを先輩から渡されたように、自分も何かを生み出し、それを伝えていく。視座の取り方の柔軟性、キャリアの自律性の高さを強く感じさせるお話でした。最終回となる次回は、岩田氏に続くであろう若手へのサジェッションをいただきます。