INTERVIEWインタビュー

第2回 パティシエの階段を一気に駆け上がる

辻製菓専門学校フランス校での学びを終えた藤田氏はプロの菓子職人としてのキャリアをスタートさせます。その時点で自分に必要なものを意識し、それが得られる場を自ら掴み取っていく藤田氏らしいお話を伺いました。

 

食アカな人

2020年10月6日 京都『kashiya』にてインタビュー実施

日本で最も勢いがあり、厳しいレストランへ

フランス校を卒業された後、日本で菓子職人のキャリアをスタートされましたね。
ビザの関係もあって帰国したのですが、まずはフランス以上に厳しいとも言われる日本のレストランで仕事を覚えようと考えました。当時、「最も勢いがあって、厳しいレストラン」に入りたいと周囲に相談したところ、ちょうどパティシエを探していた「レ・クレアシヨン・ナリサワ(現:NARISAWA)」に入社することができました。厳しい職場ですので、私が若かったことが良かったのかもしれません(笑)。
 
藤田
かなり厳しい職場だったのではないですか?
当時は早朝から深夜まで、気を抜いたら命取りになるような極度の緊張感で仕事をしていました(笑)。私はシェフパティシエの補助を務めるのですが、トップレベルのフランス料理のレストランで求められるクオリティを保ちながら量もこなさなければなりません。一瞬でも隙が生まれるとミスにつながり、全体の流れを崩します。エレベーターに一人で乗っているときだけが僅かな息抜きの時間でした。実際に倒れたこともありますが、病院で点滴をして午後からは働きました。食の世界、職場の空気は時代とともに変わりますので、そういう世界は当時ならではかもしれませんが、新人の私にとっては毎日が戦場でした。
 
藤田
良く持ちこたえましたね。そうまでしてでも、そこで働きたいというモチベーションがあったのでしょうか?
厳しいのは覚悟していましたし、求めていたことでもありました。実は、ナリサワの厨房に女性の料理人が入るのは私が初めてで、あの命を削るような職場に女性が入るとどうなるのか?という声もありました(笑)。実際、新人の私にとっては命がけの職場だと感じましたし、厳しさに耐えられなくて辞めていく人も多かったのですが、料理は間違いなく本物。成澤シェフは天才なんです。仕事も早くてきれいで、掃除も自らやる。プロとして学ぶべきことがたくさんありました。きれいで清潔な仕事ということは、フランスの製菓学校時代の恩師の教えとも共通していて、菓子職人としてのスタート時に全てを厳しくたたき込まれたのは「正解」でした。「どこにいってもやっていける」という自信がつきました。
 
藤田
 

パリで2ツ星レストランのシェフパティシエになる

2年ほどナリサワで勤務した後は再びフランスへ戻りましたね。
レストランではコース料理の最後に提供されるアシェットデセール(皿盛りのデザート)をつくるわけですが、フランスでフランスの食材を用いてつくる技術を究めたいと思っていました。シェフや周囲にも「いずれフランスで働きたい」と予め伝えていましたし。あるとき、フランスの製菓学校時代の同期からパティシエが必要だという連絡があり、1か月後には渡仏することになりました。
 
藤田
バスクの2ツ星レストラン(Les Pyrenees)ですね。そこから翌年にはパリへ。
やはり本場の中でも最先端の街、パリで働きたいと思っていました。バスクでも「いずれパリで働きたい」と周囲に伝えていたところ、運よくそのチャンスに恵まれてパリで働くことになりました。パリでは、結果的にシェフパティシエになることもできました。
 
藤田
パリでも2ツ星レストラン(Le Relais LoisXIII)、しかもシェフパティシエになったわけですね。当時、パリのコンテストで入賞も果たしたと聞きました。パティシエとして短い期間に階段を駆け上ったという印象を受けます。
本場・本物を求めて、少しでも最先端の世界を知りたくて、経験したくて、その想いで走り続けていたのかもしれません。
 
藤田
 

和菓子と出会い、京都へ

フランスでの仕事はいかがでしたか?
仕事のハードさという部分についてはナリサワで究極のものを経験していたので、実は緩く感じるくらいでした(笑)。とはいえ、それぞれの場所、環境で最高のクオリティを目指すことには変わりはありません。先ほどもお話ししたようにお客様の細かなオーダーにも応えていく部分で自分の力が試されます。シェフパティシエになってからはデセールの内容を自分で考えるようになりましたが、頻繁に来られるお客様に「今日は何を出すか?」と頭を悩ませることもありました。満足されないお客様は遠慮なくそうおっしゃいます。鍛えられました。
 
藤田
ハイレベルのお店がしのぎを削るフランス、しかもパリ。その要求水準に応えなければならないわけですね。
自分でもたくさんの店に食べに行って勉強しました。ミシュランで星を獲っているところには全て行こうと思い、3ツ星から順番に食べにいきました。ミシュランに掲載されているレストランのほぼ全てに行ったと思います。既に自分の中にベースとなるものがあったからですが、とても勉強になりました。
 
藤田
製菓学校時代の研修も含め、フランスで7年余りのキャリアを積まれました。とても充実されていたのではないかと思いますが、そこから日本、和菓子の世界へと目を向けることになるわけですよね。何があったのでしょうか?
フランスでの毎日は充実していましたが、わからなかったことがわかるようになると、徐々に物足りなさを感じるようになります。「わからないこと」を求めたくなるというか(笑)。そんなとき、たまたまパリで開催された「和菓子の研修会」に参加し、たくさんの「わからないこと」に出会い、衝撃を受けました。
 
藤田
それまで藤田さんが究めてきた洋菓子とは違う世界に出会ったということでしょうか?
はい。洋菓子と和菓子では菓子づくりのアプローチが全く違います。和菓子は職人が手で食材を操り、調理し、整形していく。その手さばきは洋菓子にはないものでした。菓名のひとつひとつに物語があることにも感動しました。私は日本人なのに、和菓子のつくり方も文化も全然知らない・・・。知らないものに出会えたことが本当に嬉しかった。これは学ばないわけにはいかない!と、知人の伝手で京都の老舗和菓子屋を紹介してもらい、和菓子の修行をすることにしました。
 
藤田
 
パティシエとして厳しくて濃厚な道を選び、パリの星付きレストランでシェフパティシエに就くまで一気に駆け抜けた藤田氏。その立場に安住することなく、未知なるものを求めて和菓子の世界へと突き進みます。次回は、京都での和菓子修行~自分自身のお店を開くまでのお話を伺います。