INTERVIEWインタビュー

第3回 和菓子の世界を経て新しいステージへ

パティシエとしてパリで成功を収めながら、新たに和菓子職人としての修行を開始した藤田氏。新たな修行の地は京都の老舗和菓子屋『亀屋良長』でした。老舗に飛び込んだ藤田氏は菓子職人として新しい境地へと向かいます。

 

食アカな人

2020年10月6日 京都『kashiya』にてインタビュー実施

自分で見て学ぶ

亀屋良長で和菓子職人の修行を開始されるわけですが、藤田さんは既にパリの名店でシェフパティシエを務める程の技術・経験・実績を持っていたわけです。戸惑いはありませんでしたか?
ありました。お店も私も・・・どちらも(笑)。(ナリサワと同じく)亀屋さんも社員として女性の職人を入れたのは私が初めて。さらに、私の場合は「フランス人が来た」という感じだったかもしれません。フランス帰りのパティシエ・・・「何で亀屋に?」「何しに?」と感じても無理はありませんから。それはそれとして徐々に解決できるのですが、技術の伝え方の違いにかなり戸惑いました。
 
藤田
どんな違いがあったのでしょうか?
疑問に思ったことを質問してもあまり教えてくれません。和菓子の世界は「自分で見て学ぶ」というスタイルでした。そもそも数値化、理論化されていない技術が多くて、すごい手さばきを見せる職人も「何故そうなるのか?そうするのか?」ということを説明できない場合もあります。「これまでずっとこうやっているから」といった具合に(笑)。和菓子は職人の手の感覚で“あんきり”をしたり、糖度が異なる飴を使い分けたり・・・経験と勘で成り立っている面があります。熟練の職人さんたちは目分量でも見事に仕上げます。あまりしつこく「何故?」と聞くと、「いいからやれ」と怒られます(笑)。「こうだよ」と教えてもらえることは少ない。私は理由や理論を突き詰めたいわけです。戸惑いました。
 
藤田
どう対処されたのですか?
帰宅してから自分で調べました。洋菓子も和菓子も根本的な部分では同じところがありますから、だんだんと意味がわかってきます。その上で、職場で「やらせてください」「いいよ」という感じで技術を磨きました。休みの日には和菓子と切り離せない茶道を学び、和菓子の位置づけや(和菓子が食べられる)茶席についても理解を深める努力をしました。
 
藤田
和菓子の職場の仕組みには馴染めましたか?
黙々と静かに仕事をするという点で洋菓子やレストランとは全く違いましたが、職場の仕事の段取りを理解し、周囲の動きにできるだけ自分を合わせていきました。仕事場全体の動きを注意深く観察して・・・例えば、洗い場に鍋があるとすれば、それは誰が何のために置いているのかを考え、自分がその鍋を使ってよいのかどうかを判断します。そうすれば周囲の動きの邪魔をせず、自分の役割を果たすことができます。
 
藤田
周囲に受け入れられ、認められたと感じた瞬間を覚えていますか?
例えば、“あんきり”です。“あんきり”は同じグラムで、きれいにやらなければならないのですが、その前提で2,3人がスピードを競い合う感じになるんです。そこで私の仕事が早くなっていったとき、周囲にも認められたかなと感じました(笑)。
 
藤田
 

老舗の革新とパティシエの経験が結びつく

亀屋良長が世に送り出した"Satomi Fujita by KAMEYA YOSHINAGA"は、メディアにも多く取り上げられて注目を浴びました。藤田さんのパティシエとしての経験が活かされましたね。当時のことをお聞かせいただけますか?
重陽の節句にちなんだ「着綿(きせわた)」という上生菓子があります。菊を模した餡の上に真綿に似せた“きんとん”を載せるお菓子です。当時、その“きんとん”部分を違う素材でつくりたいという話が出て、飴とマシュマロの2種類をつくってみました。結果的には飴が採用されましたが、マシュマロのほうも「これ、ものすごく美味しい。商品にしたい」となりました。会社も新しいものを求めていた時期だったので、いつの間にか新しいブランドが出来上がりました(笑)。
 
藤田
当時、随分話題になりましたよね。実際、亀屋さんの柱の1つに成長し、今でも続いています。
個人的には複雑な気持ちもありました。会社に貢献できたことは嬉しかったのですが、私にとって本職というか、亀屋さんに来た理由は和菓子をつくることでした。最初のうちは和菓子づくりが終ってからSatomi Fujitaの仕事をすればよかったのですが、だんだんと難しくなってきて・・・。会社に相談して、Satomi Fujitaの菓子づくりのために新しい人を入れてもらい、私は開発のみを担当する形にしてもらいました。和菓子をつくるために京都、亀屋さんに来たわけですし。
 
藤田
 

亀屋を卒業して『kashiya』をスタート

亀屋さんには4年弱。亀屋さんを卒業して自分のお店『kashiya』を開業したのが2014年でした。満を持しての独立開業だったのでしょうか?
いいえ、自分のお店を持つことは全く考えていませんでした。辞めたら今度はスペインかな・・・と思っていたくらいです。亀屋さんを卒業することが決まって、次は何をするかな~と考えていて・・・「自分がやりたいことをやりたい」と思ったのかな・・・。亀屋さんには自分の名前がついたブランドがある以上、他の和菓子屋さんに行くわけにはいきません(笑)。働いてみたいと思う洋菓子店も日本では思いつきませんでした。そんなとき、平安神宮に桜を見に行った帰りにこの場所を見つけ、ここで自分のやりたいことをやるためのお店を開こうかな・・・と。
 
藤田
 
パティシエとしての成功を一旦封印し、和菓子職人としてイチから修行を開始した藤田氏ですが、最終的に全ての積み重ねが結びついていったわけですね。最終回となる第4回では、自分自身のお店を立ち上げて6年余りが経過した今、藤田さんが未来に向けて抱く想いを伺います。