INTERVIEWインタビュー
宮治 勇輔
YUSUKE MIYAJI
神奈川『株式会社みやじ豚』代表取締役社長 / 東京『NPO法人 農家のこせがれネットワーク』代表理事
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宮治 勇輔
神奈川『株式会社みやじ豚』代表取締役社長 / 東京『NPO法人 農家のこせがれネットワーク』代表理事
知る人ぞ知るブランド豚『湘南みやじ豚』。その肉質は甘くてクリーミー。見た目も美しく、軽やかで上品な味わいは料理人から高く評価され、食通たちを唸らせる。食アカな人 vol.4では、この『湘南みやじ豚』を生産する畜産農家:株式会社みやじ豚の代表取締役社長:宮治勇輔氏に話を伺った。
『湘南みやじ豚』は、紛れもなく同社の農場で育った豚だ。その豚肉は食材にこだわる飲食店や舌の肥えた食通に直接販売され、同社が直接運営するバーベキューイベントでも提供されている。
それがどうした?当たり前じゃないか・・・と思われるかもしれないが、実は肉の流通はそれほど単純ではない。私たちが手にする豚肉、たとえそれがブランド豚であったとしても、その生産農家がどこであるかは特定できないケースが殆どだ。畜産農家から出荷された豚は途中で他の生産者のものと一定の規格の範囲内で混合されて流通している。ブランド管理されている豚の場合、その規格を満たす生産者が出荷したものが混ざって飲食店や個人向け流通で販売されている。言い方を変えると、生産者がどんなに上質な豚を育てて出荷したとしても、それは流通段階で他の生産者のものと混合されてしまうということだ。
宮治勇輔氏はこのことに我慢できず、自社が生産した豚を特定させる形で顧客に届ける形を家業として実現させ、高評価のブランドを立ち上げた。その手腕は異業種からも注目され、2016年には「ダイヤモンド・ハーバード・ビジネスレビュー 未来をつくるU-40経営者」の20名にも選出された。
宮治氏は、“一次産業を、かっこよくて・感動があって・稼げる3K産業に”という理念を掲げ、自社での実践だけではなく、広く農業後継者を巻き込む活動「NPO法人 農家のこせがれネットワーク』も立ち上げ、社会課題の解決にも取り組んでいる。まさに食を支える仕事を個人として、さらには社会構造の視点としても実践している人物だ。
今回は、その宮治勇輔氏の人生(キャリア)を紐解き、その意識と行動から学びたい。
宮治 勇輔
神奈川『株式会社みやじ豚』代表取締役社長 / 東京『NPO法人 農家のこせがれネットワーク』代表理事
1978年 神奈川県の小規模な養豚農家に長男として生まれる。
幼少期は豚舎の中で遊び、身近に養豚の世界がありながらも、仕事として農業、畜産業を考えたことは無かった。家業の手伝いをすることもなく、学生時代は歴史小説ばかり読んでいたとか。その影響で一国一城の主となることを目指すようになり、社会人となる時点で抱いたテーマは「起業」だった。
その起業に向け、学習の場として選んだ就職先はベンチャー企業:株式会社パソナだった。ベンチャー企業ならではの環境で若くして営業・企画・新規プロジェクトの立ち上げを担当し、4年3か月勤務。その間、独自にスキル向上とビジネスを支えるネットワークづくりを進めたという。
社会人2年目の秋、1次産業が抱える課題と自らのバックボーンとしての農業とが結びつき、今の活動を支えるビジネステーマが定まった。実家に戻り、家業を継いだ上でそのテーマに取り組むことを決めて準備に入る。
2005年6月 株式会社パソナを退職し、実家の養豚業へ。
2006年9月 株式会社みやじ豚を設立し、代表取締役社長に就任。生産現場を父と弟に託し、自らは事業構造の再構築とブランドプロデュースを担うという家族経営スタイルで“湘南みやじ豚”を知る人ぞ知るブランド豚に押し上げた。
一方、湘南地域の活性化を目的とするまちづくりNPOのNPO法人湘南スタイルの運営にも参画するなど、自社にとどまらず社会全体が抱える課題の解決にも積極的に取り組んできた。さらに、日本の農業が抱える課題への危機感から『NPO法人 農家のこせがれネットワーク』を設立。次世代の担い手を巻き込みながら農業の新たな可能性を追究して今に至る。
自社の事業を再構築し、独自のポジションを確立。さらに農業界全体を視野に入れた大きな課題への取り組みを仕事の両輪として動かす宮治氏にお話を伺った。